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◇イサン 正祖大王

       

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◇ソドンヨ(薯童謡)1〜37


・1〜10 ・11〜20 ・21〜30 ・31〜37
※数字は実際のドラマの話数とは関係ありません。

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◇ヨンゲソムン(淵蓋蘇文)


・1〜10 ・11〜20 ・21〜30 ・31、32
※数字は実際のドラマの話数とは関係ありません。 ========================================================
◇大祚榮(テジョヨン)


・1〜10 ・11〜20 ・21〜30 ・31〜40 ・41〜50 ・51〜60 ・61〜70 ・71〜75
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2008年08月03日

大祚榮 最終回

テジョヨンの元を訪れたコムは、突厥が唐と戦い続けるよう仕向ける役を買って出ます。

テジョヨンと渤海の役に立ちたい と言うんです。


その後、会議が開かれ各武将が隣国制圧のため指示を受けました。

この時とばかり一斉に隣国に向かうようですパンチ




テジョヨンは、渤海を大帝国にしたいと考えていましたひらめき


理想の高い政策とテジョヨンの熱い思いがある限り必ずそうなるでしょうね。



唐では、会議の結果、

渤海と和睦を結ぶことに決め、それを則天皇帝に訴えます。


皇帝は、和睦は認めないというのですが・・・




結局、皇帝は、臣下のいうとおり渤海と和睦する事にしました。

皇帝も苦渋の決断でしたふらふら



渤海では、コルサビウが黒水靺鞨族を破り岩塩の地を取り戻しましたexclamation



当時は塩が貴重なものだったので、テジョヨンも大喜びでした。


とそこに、西からも契丹族を追放したとの報告が入ります。



しかし遼東だけは、報告がまだでした。

夜になり遼東についての報告を受け、堅固な城が多くあるためなかなか攻略できずにいました。



そして、ついに唐からイムンが和睦にやって来ましたダッシュ(走り出すさま)

テジョヨンは、親書を読むと、




イムンら使臣を牢に入れてしまいましたexclamation×2

そして、水を与えずにいました。



水をくれと訴える唐の使臣。




その後、テジョヨンは、唐の使臣を呼び出し

再度、和睦の協議に入り、イムンがテジョヨンに訴えます。



テジョヨンは、

遼東にいる部隊を撤退させ、遼東を渤海に返せば和睦する


と、条件を突きつけます!



イムンは、仕方なく要求を受け入れましたあせあせ(飛び散る汗)




テジョヨンもそれを聞き、唐との和睦を認めました。


渤海は、短期間で大きな領土を手に入れましたグッド(上向き矢印)



国が落ち着くと、臣下たちは後継者問題についての話題を出します。

テジョヨンは、コムに跡を継いでもらいたいように思っていたのでしょう。


しかし、コムは、高句麗の皇室の血筋ダンに継がせるべきだと思っていました。


そして、自分はテジョヨンを主として関係を保っていたほうが、

長く関係を保てると考えていました。




そんなところに、テジョヨンがコムを訪ねます。

コムは、テジョヨンに

ここを去らせてほしいと訴えます。

テジョヨンは、自分の子として側に置きたいのでしょうexclamation×2



そしてついに、




わが息子コム!





とコムをよびます。

コムも、

父上! と呼び



ようやく親子として心を通わせる事が出来ましたわーい(嬉しい顔)



しかし、翌朝早くコムは、手紙を残しテジョヨンの元を去ってしまいました。





テジョヨンは、渤海の領土を確認するため、広開土王の碑を訪れ

渤海開国までの長い道のりを振り返るのでしたexclamation



高句麗の滅亡、イヘゴとの戦い、唐に捕らえられ奴隷とされたこと、

ケピルサムン、フクスドル、クムラン、テジュンサンの死



長い長い道のりを振り返り、子孫に向け決意を伝えるのでした。



テジョヨンは、渤海を開国して22年後の 西暦719年9月 にこの世を去りました。





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posted by ひよ at 22:11| Comment(1) | TrackBack(0) | 大祚榮 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
現在ロシア領沿海州南端のクラスキノ近傍に9世紀半ばに大渤海帝国の龍原府 ”東京城”の城跡がある。
 日本と渤海使で相互に交流の歴史を明らかに充実すべきだ。
 日本の首都東京が江戸から改名する遥か昔に、東京という名称が先に使われていることは何ら差し支えない。
Posted by 尾崎 眞純 at 2010年12月30日 07:39
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